要旨 (详见论文正文)
キーワード
摘要
关键词
目次
はじめに
1. 食事文化について
1.1 食べ物への态度
1.1.1 料理の食材
1.1.2 调理法
1.2食事の道具
2 中国の茶文化と日本の茶道
2.1同质性と异质性
3. 酒文化について
3.1 中国酒と日本酒
3.2 宴会で饮酒文化の相违
4.风 俗
4.1生活习惯
终わりに
参考文献
感谢の言叶
以下是论文正文
摘要
中国古文化对日本的影响是众所周知的,日本文字中的汉字即是不言的铁证.而如今面对中日两个独立的国家,中国文化和日本文化定会存在异同点.深意文化是认识一个民族的必须前提,只有理解文化内涵,才能建立统一与差异互动、互补的文化交流氛围.要重视从文化范畴进行探索和研究了解其他民族的思维方法和文化根源,科学的理解国别文化差异,才能真正增进两国人民的友谊和感情.日本特殊的地理环境也造就了日本特殊的文化特征,通过文化来看日本人的思想,比如饮食,茶道,甚至是语言,都可以看出日本人是一个集团主义强,注重个人修养等的国家.研究异国文化的意义,在于通过了解别的国家的文化,看其思想思维,知己知彼.取其精华,取其精华去其糟粕.去正确的看待文化,看待历史.从而我们可以通过研究中日两国文化之间异同的比较,对日本这个国家能够有一个更加深刻的了解.
关键词:中日 文化异同 影响 深刻
はじめに
中国と日本とは、関系深い隣国であり、日本文化は中国文化より大いに影响を受けて、その影响はすでに日本社会の隅々にまで浸透していると言われる.たとえば、食生活の面において、豆腐を食べたり、お茶を饮んだりするようなことである.しかしながら、日本の食文化の中には、また日本特有な食物づくりの习惯が残されている.それによって、日本式の食文化が作り上げられたのである.日本料理と中华料理の违いとは、一言でいうと、日本料理は総じて、あっさりしたものが主で、しかも食べ物の自然の风味や形などをできるだけ保とうとするところである.ところが中华料理は、材料の元の形を変えてしまうだけでなく、味も多様な调味料によって分からないようにわざと隠そうとすることが、ひとつの大きな特徴と言えよう.日中両国の食文化の违いは、おそらく地理的な环境や歴史的な条件などの违いから生じたものだと思われる.日本の中华料理、本番といっても、何か违う感じする.逆に中国の日本料理も何かおいしいと思う.
1. 食事文化について
1.1 食べ物への态度
中国の「美味追求」はあまりにも有名である.なかには文献や话の上だけのものあるが、「熊の掌」、「ラクダのこぶ」、「蛭のスープ」と発想自体が饱くなき食愿望の産物である.勿论、だれもがゲテモノを好むわけではないが、広州の蛇料理などは日本の鳗以上の市民権を持っていると言ってもよいであろう.「四つ足のものは机以外、飞ぶものは飞行机以外、水中のものは潜水舰以外なら何でも食べる」と言われるほど材料が多彩なこともさることながら、彻底的に凝った料理法も中国料理の特徴であろう.例えば、前记の「熊の掌」は熊の右手を粘土で包んで焼き、毛をむしる、そして三日三晩、薬草を加え汤を変えては煮上げる.日本料理も凝っていると言われるが、それはむしろ食べるより目で眺めて楽しむと言う芸术品の世界ではないであろうか.そこにいくと中国料理はタップリ感いっぱいの御驰走なのである.
1.1.1 料理の食材
中国の北方の主食は小麦やサトウキビを中心にしている.面食はマントウ、花巻など清蒸食品とユウティアオ、扬げソンピョンなどの扬げ物食品がある.南方の主食は米である、多く见えるのは细长い米である.また、正月にギョーザを食べる习惯がある.中国人が大晦日にギョーザを食べる原因は饺子形状が金元宝の形である、人々は旧正月に饺子は财宝をもたらしいみを持つ.また、人々は各种の吉祥のものをギョウザに包んである、人々には新年の祈盼が寄托が见えるのであろう.
食材を浪费しないことは中华料理の特徴である.食材にシレギが多いのも中国料理の特徴である.シレギに、山货が包括したの种类が豊富で、生鲜食品とは违って、长期保存できるだけでなく、风味も悪くない.长期保存することができるため、季节の制限に受けないである、いつでも食べられている.笔者は日本と中国の水産品食材が全く违う主な理由は?风土によるものだと思う.勿论?中国にも海?岛?湖、あるが、大陆が主な部分を占めている、そのため生ものを食べる环境ではない.古代中国人は长い期间生鱼?スシの类のものを食べていたが今日まで続かず?当然発展もしなかった.新鲜なものを食べられる自然环境ではないから?川?湖?海から获れた鱼介类は内陆地域に住む多くの人々にも食べられるように?鱼类を乾燥して运ぶことが唯一の方法だった.
中国人は豚肉が特に好きである、豚肉を素材にした料理も多い.そしては冬に犬肉を食べことは健康にいいです.それ以外には、カモ、カエルや蛇にもなる食材を动物の内臓、血と软骨も食材となれる.鱼、エビ类中国人も好きです.特殊の食材として、アリ、ハエ、サソリの猴脑などである.なぜかというと、中国は多民族国家である.多种多様の生活习惯や地理环境でこの多种多様のものが食材にした.
日本人の食卓に欠かすことのできないものは米、大味噌汁と渍物だった.パンを食べている家庭も次第に増えている.日本人は海産物が好む、特に刺身(さしみ)だった.日本人も麺类が大好きである、ラーメンや荞麦面などが含まれている.日本人は、大みそかや立春前夜に年越しそばを食べる.荞麦が细く、寿命の延长と家の运縁起を象徴する.これは日本人の特有文化、新年への寄托である.中国の北の一部分の省においても麺食が好きであるが、これは自然环境の制限によると思う、日本の様に何かの象徴がないである.
1.1.2 调理法
中国の地域が広がっていた.歴史は悠久なので、料理法の种类も豊富だ.基本的な调理法以外に、焼き?フン、蒸し、煎じる、氽、すすぎ、烩、烹などある.要するに、油浓いの料理が多く、そしてが使っているスパイスの种类も豊富だ.日本人が知っていた唐辛子の外に茴香、八角、陈皮なども含まれている.
日本は、天麸罗の以外に油浓い料理がない.日本料理に、五种の基本的な料理法で构成されている.加热する必要がない、生食することも多かった.主要な调味料は醤油、お酒、醋、砂糖である.中国料理に対し、日本はその调理方法は単纯だ.日本人の口で试食前には眼で食べた.日本料理の盛んでいることも重视しておる.色取りの组みも复雑である、日本料理の色の取り组みは季节と调和しておる.で、日本人が大好きの刺身を例として、赤色のマグロ、白色の鲷や绿の芥川黄色の菊などである.色だけではなく,すべての皿、グラス、茶碗なども精致である.
中国人は主に强调するのは料理の味ある、これは中国人を重视しているのは実质である.日本人は外観を重视して、日本人は表面形式であるのであろう.
1.2 食事の道具
食事するの食器に分けると、世界の食文化を指文化圏、ナイフとフォーク文化圏や箸文化圏の3つがある.指の文化圏では、主に东南アジアや中东、同じやアフリカ地域でもある、约44 %含まれ、范囲が最も広く.ナイフとフォーク文化圏とは、欧州や米国とロシアで约28 %を占める.箸文化圏では、中国、韩国、日本、ベトナム、タイ、シンガポールなどで约28 %を占めている.中日両国はいずれも箸文化圏に属するが、特色がある.中国のお箸端は平らであるが、日本のは尖っておる.中国人は、お箸と匙を一绪に使って、日本人は箸だけ使う.
中日両国はお箸を使うだが、そして日本のお箸は、中国から伝わってきた.その形や材质がいずれも违う.中国のお箸は长く、先端が丸く、箸身が変化ははっきりに见えない.材料は木と竹のほかにも、玉や象牙などが含まれている.中国人のお箸を使う长い.外国人は、中国の食文化と深い関系があると思う.中国の多くは扬げ物食品だ.昔に、中国人は一家の箸を见に贫富程度が判断できるのだった.箸が长くなるほど、家産は更に富裕である、理由は简単だ.大きな家に料理は多く、お箸は长くと、远くの料理をたばられる.
日本のお箸は中国よりも短い.の前部に细くて尖っていて、材质が木や竹やある.まだが生漆だった.日本の大半が食べるにさいなまれてきた「定食」だった.すなわち「份儿饭」中国との共同に食事することでなく.
2 中国の茶文化と日本の茶道
2.1 同质性と异质性
中国茶も日本茶も同じツバキ科の茶叶から作られるが、制法が异なる.日本茶は茶叶を蒸すことで酸化を止めるが、中国茶は茶叶を炒る又は菱凋(茶叶を安置させて水分をゆっくり失わせ、叶を柔らかくして茶の香りを形成する过程)することで酸化(発酵)を止める.その结果一般的に中国茶は茶叶を见て楽しみ、香りと味を楽しむ事が出来る.一方日本茶は味を一番で楽しみ、次に香りを楽しむので顺位が异なる.中国茶は日本茶と较べて特に香りが重视される.
(2) 同质性
陆羽『茶経』に「もし热渇,疑闷、头痛、目渋、手足の痛み、百节が伸びない时、茶を四、五口饮めば、醍醐(最高の乳制品)、甘露と抗衡(はりあ)うなり」とある.体を治し心を癒す饮み物が茶である.日本の茶の始祖栄西は「茶は养生の仙茶なり、延命の妙术なり」という有名な言叶で始まる『吃茶养生记』を着し、吃茶を长寿の薬として推奨した.
(2) 异质性
中国の茶文化は香りと味が大切で、いわゆる工夫茶はいかに手间をかけてお茶を美味しく饮むかが重要となる.一方日本の茶道は『もてなし』と『しつらい(饰り付け)』の美学だと言える.「亭主」は、まず露地という庭园を整え、茶室の中に,挂物や水指、茶碗、釜などを用意して、演出の准备をする.日本の风土が育ったんできた结晶がそこにある.そして「亭主」ち客の间に通う人间的なぬくもりがある.
3. 酒文化について
3.1 中国酒と日本酒
中国人は食べ物の味についてはあれほどうるさいにもかかわらず、酒の味についてはおおざっぱなのではないであろうか.中华料理の奥の深さに比べると中国の酒は种类も少ないし制造法についての研究も行き届いていない.参考までに中国の酒は大きくいって白酒と老酒に分かれる.色で分类するのはいかにも即物的ですが「白」は白色ではなく无色透明の意で蒸留酒のことである.有名なものには「マァ】イ酒」(53度)をはじめ「五粮液」(60度)「汾酒」(50~60度)などが有名である.
黄酒は醸造酒でコハクいろからきた名前であろう.これは老酒とも言う.よく熟成したという意味から来たものであろう.なんといっても绍兴酒(13~18度)が有名である.黄酒は地域的には长江以南が多いようである.しかし、その味については実に大ざっぱである.そこに行くと日本料理では「酒の肴」として鱼をナマとか、塩焼きとか、煮て食べるとなると、味は淡白ですから肴の相棒をつとめる酒となるとどうしてもソフトな日本酒となる.それも甘口、辛口といった分け方のほかに、デリケートな味の违いのある地酒が色々とあるようである.酒の味わい方はフランス料理に対するワインの関系と大変似ているのではないであろう.
3.2 宴会で饮酒文化の相违
出来ないと思われる.
日本人の场合は、どうもこれと正反対のようである.饮んでも羽目を外さない人は「腹を割って话合ってくれない」とか「つき合いが悪い」「薄気味悪い」などという理由で评価が下がるようである.そして丑态をさらした人间の方が何となく信頼出来ると评価されるようである.
第三のタブーは「宴会中国人は料理についてはグルメだとしても酒の味に関する限り日本人やフランス人の足元にも远く及ばないのではないであろうか.味については今まで述べたとおりであるが、この酒の饮む礼仪が中国と日本では违う様である.中国の宴会には大きく言って三のタブーがある.第一のタブーは「マイペースで饮んではいけない」ということである.手酌などはご法度である.饮む场合には必ず谁かと乾杯をしなければならない.目と目を见交わせながら饮むのが中国流の宴会の基本である.日本人の乾杯は宴会の始まるときだけで、あとは皆自分胜手に饮むようである.ところが中国人は必ず谁かを诱って一绪に饮む.例えば、十二人でテーブルを囲んだ场合、その日のホストが杯をあげて「さあ、皆さん、今日は本当によくいらっしゃいました.乾杯」とやる.
「乾杯」とは日本人のように杯をあげて适量饮むことではなく、文字通り杯を乾かしてしまう事を言う.だから一滴も残らないように全部乾かしてしまわなければならない.最も理想的なのは全员と乾杯するという方法である.自分の右隣の人から一人ずつ乾杯して全员と酌み交すことである.当然のことながら、全员が「人数分マイナス1」の回数だけ乾杯することになる.なるべく全员が同量の酒を饮むと言うのが中国流の宴会の重要な作法である.しかし、こうやって酒を酌み交わしていても、絶対にやってはいけないことがある.それが第二のタブー「絶対に酔っ払ってはいけません」である.
中国人の宴会では、とにかくありとあらゆる口実を使って酒を饮まされる.しかし、どれだけ酒を饮まされても酔った様子を表に出してはならない.宴会が终わるまでシャンとしてはならない.すなわち、たとえ酒の场であっても絶対に紧张をくずさず、最後まで崩れない人こそが、中国の社会では尊敬されるのである.だから、うっかり気を缓めて泥酔でもしようものなら二度と宴会に呼ばれないようなる.日本人からすれば信じられないことかもしれないが、宴会の场に於いて酔うような人间は信頼でまじめな话をしてはならない」ということである.特に政治向きの话などはもってのほかである.同じようなことは欧米のパーティーでも言われるようであるが、中国の场合とかなりニュアンスが违う.
欧米の场合は思想信条が违う人がいると议论になってしまい、白けるから政治の话や宗教の话はしない方が良いという意味のようである.だが中国の场合、もし政治批判の话が飞び出した场合、それを闻かれた方は穷地に陥ってしまう.中国人は言质を取られるのを极端に怖れる.他人から攻撃されたとき、言质を取られていると逃げ道がなくなるからである.だから中国人はなるべく面倒なことになりそうな话は避けたがる.ところが宴会の场で、酔った势いで政治批判の発言をした人间は勿论弱みを握られるわけであるが、それを黙って闻いていたと言うのも同罪と见なされるのが中国社会の常识なのである.黙っているのは賛成の证拠だろうと言われるからである.かと言って反论を仕挂けるのもおろかしいことで反论をすればその発音によってまた言质を取られることになる.だから宴会の席に置いては絶対に政治の话をしてはいけないのである.小声で隣りの人と话をするのは何にか企みごとをしているのではないかと疑われるし、无礼なことだと思われる.马鹿话を大きな声でしなければならない.
日本人からすればこんな宴会のどこが楽しいのかと思うであろう.中国人だって楽しくて饮んでいるのではない.宴会とは娯楽ではなく自分がいかにしっかりした立派な人间であるかを证明するための、ある意味に於いては「戦の场」なのである.だから絶対に酔ってはならない、我慢竞争に胜ち続けることが、中国社会では尊敬される条件なのである.つまり中国人にとっての宴会とは、もう一つのビジネスなのである.来る日も来る日もパーティーに出つづけ、そこで酔いを见せることなく帰ることによって、他人の信頼を胜ち得ていく.これが中国社会の付き合い方なのである.何度も同じ人に宴会で会いその人物が酔わずにしかもいつもたわいのない话をしている姿を见て「なるはど、この人は一绪に仕事をしても安心だ」と判断するのである.だから中国人の社会において宴会に呼ばれなくなるというのは社会的な死を意味することである.あいつは羽目を外す、だらしのない奴だという烙印が押されると言うことなのである.まとめてみると、中国人の酒文化は日本人のように日本料理を楽しむ或いは引き立てるために饮むものではなく、宴会を通じて自分を信頼させるために饮むものである.中国料理を楽しむ或いは生かすためのものではないという事なのである.
4. 风俗
4.1 生活习惯
中国人と日本人は顔つきもあまり変わらないし、汉字を共有してもいます.日本の文化は中国から多くのものを得てきています.それだけにお互いに中身も简単にわかるように思いますが、そうはいかない.とくに表にあらわれない中身や意识や考え方など、日本と中国の间にはかなりの违いがあるようです.风俗习惯でも形は同じだが、中身は违うというものが多い.例えば、十二支は中国から渡って来たもので、动物に结びつけるのも十二支と同じです.だが、违うのが一つあります.猪年は日本ではイノシシ年だが、同じ「猪」でも中国の「猪」は「ブタ」、つまり「ブタ」年という意味です.
日本で女性に「あなたはブタ年ですね」などと言ったら怒られるが、逆にイノシシは中国では「野猪」の意味です.「あなたは野猪年ですね」と言ったら失礼と思われるでしょう.中国人は日本人もお正月には饺子を食べるのだろうと思っています.また日本人の「おじぎ」をする习惯も珍しい.
言うまでもありませんがマナーは形だけでなく心の问题です.それだけに目に见えない微妙なものがあります.日本ではレストランなどで勘定书をテーブルの上に必ず里返して置く、これは「さり気なく请求することであり、またお金を払う人以外に金额がわからないように配虑する」という事だそうですが、どうしてわかってはいけないのでしょうか.中国では亲しい人と饮食したときなど、おごられた方が「いくらでした」と闻くのはいっこうにさしつかえない.そして「安かったですね」という.それはお金の使い方が上手であると言うほめ言叶なのです.「高かったですね」では値段に比べて、まずかったという事になってしまいます.
日本人の「ワリカン」の习惯が中国にはありません.私は日本に来て最初に年上の同僚から「ご饭を食べに行きませんか」と开かれたので、当然その人が御驰走してくれるのだと思い喜んでついていきました、しかし、食事が终わったら「あなたはいくらですよ」と言われてビックリしました.自分の分は自分で払うのだそうです.そんなことなら一人で自分の食べたいものを食べるんだったと腹が立ちました.中国には「ワリカン」と言う习惯はありません.目上、年长者、上司が勘定を持ち又同じ仲间であってもその日诱った人が払うというのが普通です.
「すみません」に対する中国语は「対不起」(トイフチ)と言いますが、これがどうも分かりにくいのです.日本ではすぐ「すみません」と言います.道を闻くときに「すみません」.これはまあ相手の足を止めさせて申し訳ないという気持ちの表れとしてまあよしとしますか.レストランでの「すみませんお水を下さい」もお手数をかけるのであるからわからないでもない.しかし「すみません勘定して下さい」は変です.御驰走して贳うならすみませんでしょうが、代金を払うのになぜ谢る必要があるのでしょうか.
などというのは野暮な话のようですね.今の日本语の「すみません」は陈谢语と言うより呼びかけ谦譲语と言ったほうがいいようです.ところが自动车接触事故を起こした场合などは「すみません」と言わないほうがいいと教えて贳いました.谦譲语のつもりで言ってもこちらの非を认めたことになり、示谈の时に条件が不利になるのだそうです.味気ない话ですが、これが社会の现実でしょう.
さらに「すみません」には政治上の大きな问题があるとして戦争関系のことで时々新闻纸上をにぎわしているようです、犠牲を与えた相手に対して明确な谢辞の「すみません」ではなく「遗憾であった」等です.
このように日本人の「すみません」には「谢罪」と「呼びかけ」の二つの意味があるようです.一方、中国の「対不起」ですが、「対不起」には呼びかけ语としての役割はありません.中国のサービスについては问题がありますが、サービス部门であまり「対不起」が闻かれないのは、それを口にすると责任を追及される事を恐れるからだという説もあります.また文化大革命の後遗症も少しはあるでしょうが、実际は社会主义的市场経済がまだまだ未成熟なのではないでしょうか.しかし、実际に悪いと思ったときは素直に「対不起」と言います.
赠り物などのとき、日本では奇数をよしとするようですが、中国では全て偶数を喜びます.これは対になっていることを好む习惯とも関连があるのかもしれません.北京の故宫博物院は建物が整然とした左右対象に配置されています.対になっていないと安定感が得られないと中国人は考えます.偶数好みは、その延长线にあると思われます.酒の赠り物も一本ではなく二本であることが望ましいのです.结婚祝いのジャーなどを一つしか赠らなかったら常识を疑われるか、わざと嫌がらせをしたとしか思われません.二个が常识なのです.招待されてつぎに会ったとき、日本人は「先日はどうも御驰走さまでした」と言います.これが日本の常识のようです.しかし、中国人はあまりこれをやりません.招待を受けたときに感谢の言叶はすでに述べており、日を変えてそれをまた缲り返すのは、「また御驰走をして下さい」と言う谜をかけたことになるからです.手土産の习惯は中国にもあります.日本人は「手ぶらでは悪いから」と何か持って行くことが多いようですが、中国人の场合はそんな暧昧なプレゼントはしません.感谢とか依愿とか目的が明确な场合に手土産を持って行きます.
4.2 义理人情
中国人はお金に敏感な国民だとよく言われます.まず第一に、节约をし无駄なお金は絶対に使わない.长い歴史のなかでお金しか頼りにならないことが身に染みて判っているからです.ですから、贮金率は非常に高い、贮金とは毎月の収入の中から使い残したお金を残しておくといったノンキなことではありません.使いたいお金を我慢して优先的に残しておくことです.またお金の使い方についても大変厳しく节约できそうなお金は一切使わないし、使わなければならない场合でも安くすませる方法はないかと智恵をしぼります.ですから、买い物に行っても必ず値切ります.中国人は人前でも平気でお金の话しをします.それが日本人と一番违うところでしょう.
この违いはお金に対する中国人と日本人の哲学の违いから生じたものではないでしょうか.お金が必要なことは子供でも知っています.だからお金の话しをすることは耻ずかしいことでも何でもなく、お金がないからといって人に隠すことはないと中国人は思っています.しかし、どうも日本人はお金を「必要悪」の一つとしてとらえており、お金のことを口にすることも、ましてお金がないことを口にするのは耻ずかしいことだと思い込んでいるようです.
昔から日本の支配阶级であった「サムライ」たちは一般的に経済知识に乏しく、いつも贫乏していたようです.それでも人の上に立つ以上物乞いしたり、お金が欲しいと口に出しては言えないそういった気风が、日本人全体の気风となって上から下までお金のことは口にしないようになったのではないでしょうか.ではなぜこれほど経済観念の発达した中国人が义理人情を大切にするのでしょうか.それは中国人と比べて一番违うところは中国人の行动原理が利己主义(家族を含めた)ものを中心としているに対して、日本人はグループの利益もしくは公益を优先させているためではないでしょうか.とくに戦後の日本で法人优遇の税制が导入され个人で店を経営したり个人で财産を所有しているよりも会社で経営した方が有利ということになれば小さな商店も会社に変わり、会社が储けたお金も资産として大半が会社に蓄えられるようなシステムが日本人は社会を一つのユニットとしてチームワークをとり、そしてそれを强くさせる事に成功したのでしょう.そして会社という组织が普通化すると日本人は社会をトリデとして社会生活を営むようになり、お金の流れも交际费の支払も文化活动のスポンサーも全部会社中心に変わってしまい、サラリーマンは会社に忠诚を誓い公益もしくは団体の利益を优先させなければ生きて行くことができなくなったのではないでしょうか.
これに対して中国人は结局あてにできるのは家族の延长线上にある人间関系が一番であると考えます.ただ社会を乗り切ることはできません.だから自分らを守るためには各方面にネットワークを筑いておく必要があります.子供たちの结婚を通じて姻戚関系をつくるのもその一つだし、官界で派阀に加盟するのもその一つです.「袖すり合うも他生の縁」と言われますが、中国人が一番大切にするのはそうした「人縁」です.友达に绍介されて知り合いになったばかりの人でも中国人は大切にします.友人の绍介状を持って访ねてきた.人に初対面でも下にもおかぬ扱いをした上に御驰走までしてくれると言う例も少なくありません.これは绍介状を持参した人を大事に扱うのは绍介状を书いた人に対する礼仪であって、绍介状を持参した人を最初から尊重している訳ではありません.
中国人は人间関系を最も重要视します.ですから、自分が亲しくしている人からの绍介であれば真っ先に考えることはその友人の顔を立てることです.そうした丁宁な扱いを受けた人が帰って「本当に亲切していただきました、とても助かりました」とお礼を言ってくれればその友人もこちらに対して色々と面倒を见てくれるようになり、その绊がますます大きくなる、そしてそうやって新しくできた友人も勿论大切にします、そうゆう新しい人间関系をつくることを非常に大切に思っています.
この厳しい社会にあって一番頼りになるのは血のつながりのある家族だし次が味方になってくれる友人です.本当の友人なんてそんなに沢山いるものではありませんから、縁あって友人になってくれた人を中国人はことのほか大切にします.こういう面の中国人の礼仪正しさと利害をこえた亲切さは、グループ主义の日本人には一寸とわからないところでしょう.
终わりに
今まで文化について中日の差を见て来た.そして同じような文化でありながらその内容はかなり违うのだと言う事も判断できた.日本と中国は末长く仲良く付き合っていかなければならない隣り同士である.そして仲良く付き合って行くためには二つの侧面があると思う.一つは共通点を见出すことである.それによって亲近感が生まれる.もう一つは相违点を知る事だと思う.それによって理解が生まれ、认め合う前提となる.共通点は见出しやすいのですが、违いを知って理解をすると言うことはなかなか难しいことだと思う.この相互理解を深めるためには、まず今まで述べたように少なからぬ误解があることに気づく必要があるのではないであろうか.目や肌の色のちがっている者同士だったら、はじめから违うという认识があるからかえっていいのではないであろうか.ところが同じような顔で、同じ汉字文化圏でお互いに、分かっていたようなつもりになっているところに问题があるのではないであろうか.
参考文献
1.谭玲着.『饮食文化対比』[M]. 成都:四川大学出版社, 2001.5-20
2. 胡智锋.『日中饮食発展史』[J]. 北京. 北京广播学院出版社,1999,4:1-10
3. 张惠临着.『日本と中国の食文化』[M]. 山西: 山西人民美术出版社,2006.36-39
感谢の言叶
この度、卒论执笔に当たって、先生は论文の添削指导までなさってくださいました.先生が助けて下さらなければ、私は完成することができないだろうと存じます.ここで、先生のご苦労に対して、心から感谢の気持ちを表したいと思います.
いつの间にか、大学の时间がなくなりました.また、今年六月末に、卒业することになります.大学に入ってから、先生のおかげで、私の日本语の能力はだんだん上手になりました.ここに谢意を表します.
この论文の作成に当たり、始终不変な礼仪のご指导,ご鞭挞を赐った指导先生、大学の日本语科の先生に対して衷心より感谢の意を表します.
この论文の遂行に际して、いろいろな助言と激励及びご配虑顶いた先生に厚くお礼を申し上げます.
一言で言えば、ここに先生への感谢の意を表します.