摘要(详见正文)
1. はじめに
2. 先行研究
3. 「らきすた」と「戦国BASARA」の事例
4. 若者の宗教性と圣地巡礼における神社参拝との関系性
5. おわりに
参考文献
以下是论文正文
要旨
本文ではアニメ作品の外部に存在する宗教的要素についてみていく.作品の外部に存在する宗教的要素とは、その作品の内容自体には宗教的要素がそれほど登场していないにもかかわらず、外的要因によってその作品と结びつけられている宗教的要素を指す.ファンたちがアニメ作品の圣地巡礼として行っている神社参拝がその例である.本文ではテレビや新闻などのメディアでも多く取り上げられた「らきすた」と「戦国BASARA」の事例を示す.それらから、アニメの外部に现れている宗教的要素とその役割、そしてアニメと若者の宗教的行为の関系性について考察する.
キーワード:アニメ 宗教観 若者
1. はじめに
现代の日本を见てみると、长い歴史を持った日本古来の宗教やそれに関连した行事は、日本人の日常生活の一部となる中でその宗教性を认识されなくなってきている.その一方でクリスマスといった外来の宗教行事が、一种のイベントとして日本人の生活の中に深く浸透している.それはつまり、今の日本は様々な宗教が身近に存在し、それらが日本人の生活に定着している一方で、宗教が宗教として认识されていない状态なのである.また、现代の日本人は一般的に无宗教的だと、主観的にも客観的にも认识されている.このように现代の日本は、宗教の価値が揺れている时代である.このような状况の中、宗教は现代の日本文化にどのような影响を与えているだろうか.そして宗教と现代の日本文化はどのような関系性を持っているだろうか.この论文では现代日本を代表する文化の一つであるアニメと、日本に存在する宗教の中でも古来より信仰されている神道を主に取り上げる.アニメにおいて宗教的要素がどのように现れ、どのような役割を果たしているかを见ていき、アニメと宗教の関系性を考察する.论文の构造としては、本文では、「らきすた」と「戦国BASARA」を例に挙げ、外的要因によってアニメと结び付けられる宗教的要素について考察する.
2. 先行研究
インターネットでいろいろと调べたが、国内では大分日本のアニメ産业とかアニメの表现とかの研究である.アニメと宗教の関系についての研究はそんなに多くないである.私の论文は
それらに比べ物にならないだが、本文はアニメにおける宗教的要素はそれに対する信仰心を视聴者に想起させる役割を果たし、一方でアニメは新しい宗教的価値観をも生み出している.このようにアニメと宗教は相互に影响を与え合うという、非常に强い関系性を持っていることに検讨している.
3. 「らきすた」と「戦国BASARA」の事例
3.1 「らきすた」の事例
「らきすた」は、美水かがみによる同名コミックを原作として、2007 年に独立UHF 局で放送されたアニメ作品である.女子高生の日常をコメディタッチに描いたアニメであり、作品自体には宗教的要素はほとんど登场しない.主要登场人物である柊かがみ、つかさ姉妹の実家が鹰宫神社という神社であり、彼女たちが巫女として神社で働くシーンが作中に登场するぐらいである.しかしアニメ雑志などで鹰宫神社のモデルとして埼玉県鹫宫町の鹫宫神社が绍介されたことにより、ファンがアニメに登场した场所として鹫宫神社を访れるようになった.鹫宫神社は関东最古の大社と言われるなど、非常に长い歴史を持った神社である.そんな鹫宫神社で、アニメファンたちが「らきすた」の登场人物のイラストを絵马に书きのこし、登场人物のコスプレをして参拝を行う姿などがテレビなどで大きく取りあげられた.そして鹫宫町の商工会が独自のアニメグッツ制作やイベントの运営など、地域振兴策に取り组んだ结果、鹫宫神社を访れるファンの数は増え続けた.それは初诣の参拝客数が2008 年にはその年の埼玉県内第3 位となる约30 万人、2009 年には第2 位となる约42 万人、2010 年には过去最高の45 万人に达したほどである.
3.2 「戦国BASARA」の事例
「戦国BASARA」は、同名のアクションゲームを原作として2009 年にTBS 系列で放送されたアニメ作品である.戦国时代を舞台に、设定や外见を大胆にアレンジされた、実在する戦国武将たちの荒唐无稽な戦いを描いた作品であり、「らきすた」と同様に宗教的要素を扱っているわけではない.しかしながら、ゲームやアニメのヒットによって女性ファンの间で戦国武将ブームが起こり、主人公の一人である伊达正宗ゆかりの地である、仙台城迹にある宫城県护国神社に多くの女性ファンが访れた.宫城県护国神社は、明治37 年に招魂社として総见された神社で、现在は宫城県出身の戦没者を中心に多くの英霊が祭られている.以前は中高年层の参拝客が多かったが、现在では若い女性の参拝客が増え、アニメやゲームに出てくる戦国武将のイラストを絵马に残していく姿がよくみられるという.
4. 若者の宗教性と圣地巡礼における神社参拝との関系性
4.1 若者の宗教性の特徴
现代において、日本人の宗教に対する兴味、関心は希薄である.それは朝日新闻の2003年の调査で「宗教に兴味がない」と答えた人が77%に上ったという结果や、さまざまな调査で「特定の信仰を持つ」と答える割合がしだいに减少し、现在では3 割を切っているという现状から分かる.しかしながら日本では、一年を通して初诣や七五三またクリスマスなどの様々な宗教的行事を多く行われ、朝日新闻の调査によると全国平均で约半数の家庭に仏坛や神棚があるなど、日常生活に宗教が根付いているのも事実である.このような状况から考えると、日本人は无意识のうちに様々な宗教を受け入れ、宗教に対する信仰心がありながらも、积极的に特定の宗教を信仰することや、自覚的に宗教に接する机会が少ないという意味で宗教性が薄いと言える.
そのなかでアニメファンの中心である10 代から30 代の若者の宗教性はどのようなものであろうか.若者に関しては様々な调査で、「信仰がある」とする割合が他の年代に比べて低い、「宗教を大切にする」とするよりも「宗教を大切にしない」とする割合の方が多い、「神仏どちらかを信じている」とする割合も减少し続けているなどの结果が出ている.これらの调査结果から、若者は伝统的な宗教や既存の宗教に対する兴味や関心が低いことが分かる.また他の年代に比べて墓参りや初诣以外はあまり行っていないという调査结果から、若者には宗教的行为を行う机会も少ないと言える.このように若者は他の年代に比べてさらに宗教性が薄いのである.
しかしながら初诣に関しては特徴的で、他の年代よりも実施する割合が高く、しかも実施する割合は年々増加している.したがって若者は宗教的行为の中でも初诣に対しては関心が高いと言える.ただし、そうは言っても若者と神社のつながりが特别强いというわけでない.初诣以外で神社に参拝する机会が少なく、自分の住んでいる地域の神社と関系性をもたない割合が四割を超えるなど神社自体に関する関心は低いのである.これは初诣が日本人の年中行事として定着するなかで、宗教行事としてみなされることが少なくなり、若者にとって一种のイベントとなっていると考えることができる.
4.2 若者の宗教性の特徴と圣地巡礼における神社参拝との関系性
若者の宗教性の特徴は上记のとおり、「既存の宗教全般に対する関心は薄いが、初诣に関しては行う割合が高い」というものであった.ではこのような若者の宗教性とアニメ作品の圣地巡礼における神社参拝はどのような関系性があるだろうか.神社に対する参拝というものは元々、伊势神宫で祀られている天照大神、出云大社で祀られている大国主の命みこと、全国に存在する稲荷神社や八幡神社における稲荷信仰、八幡信仰など、各社の祭神への信仰心によるものであった.初诣も住んでいる地域の氏神神社やその年の恵方、すなわち縁起が良いとされる方向の神社へ参诣するものであり、神が居住まいを正して来临してくる「ハレ」の时である正月において、神を清浄な心身で迎える行事であった.これらは日本人に代々根付いてきた素朴な信仰心によるものと言えよう.
しかしながらアニメファンの圣地巡礼における神社参拝は、そのような従来の宗教的価値観や信仰心のもとで行われているものではない.外面的には日本の伝统にのっとった宗教的行为ではあるのだが、神社への参拝を行うアニメファンの原动力となっているのはアニメ作品に対する兴味や関心という、日本人に根付いてきた信仰心とは全く别のものであるである.そして、圣地巡礼という言叶がもともと宗教的な用语であることを考えると、アニメ作品の圣地巡礼の原动力となるこの兴味や関心というのは、そのアニメ作品に対する信仰心と言いかえることができるであろう.つまりアニメ作品という、虚构であり、これまでなかった存在に対する新しい形の信仰心が、神社への参拝という伝统的な宗教的行为に结びついているのである.
アニメファンの中心である若者は既存の宗教に対する関心は薄いかもしれない.しかしながら、アニメに対する信仰心が実际の宗教的行为の実践に影响を与える、つまりまったく别のものを既存の宗教と结び付けるという、新しい宗教観が彼らから自然と生み出されている.このようにアニメの圣地巡礼における神社参拝というものは、新しい宗教的価値観を提示しつつ、日本古来の宗教に対しても目を向けさせるという二面性を持った行为である.そしてアニメ作品において、表面的には宗教的要素が现れていなくても、後発的に宗教的要素を持つという可能性も提示している.
5. おわりに
本文では、作品自体には宗教的要素を含んでいないにもかかわらず、ファンの圣地巡礼という外的要因によって既存の宗教と结び付けられているアニメ作品として、「らきすた」と「戦国BASARA」を取り上げた.これらの作品は、既存の宗教とアニメへの信仰心を结びつける若者の新しい宗教観と、神社への参拝という伝统的な宗教行事への兴味や関心を同时に生み出している.これらは先行研究と异なり、アニメが宗教に対して影响を及ぼしている例であり、アニメと宗教の新しい関系性を示すものであった.このようにアニメには、自然崇拝や神道など様々な宗教的要素が登场し、その使われ方も制作者のメッセージの一部としてや、作品の世界観などを特徴づけるためなど多种多様であった.そしてアニメは宗教に影响を受けているだけでなく、逆に现代の宗教的価値観に影响を与えてさえいる.この论文を通じて、一见结びつきが薄そうなアニメと宗教が密接に结びついていることが分かった.そして本论で见てきたように、アニメにおける宗教的要素はそれに対する信仰心を视聴者に想起させる役割を果たし、一方でアニメは新しい宗教的価値観をも生み出している.このようにアニメと宗教は相互に影响を与え合うという、非常に强い関系性を持っているのである.
参考文献
『菊与刀』 Rベネディクト着 刘锋訳 萨苏评注 当代世界出版社 2008年
石井研士『データブック 现代日本人の宗教 増补改订版』、新曜社、2007 年
井上顺考『神道入门 日本人にとって神とは何か』、平凡社、2006 年
NHK 放送文化研究所『现代日本人の意识构造 第6 版』、日本放送出版协会、2004 年
『山阳日日新闻』、2004 年9 月25 日「瀬戸内坂の町今度はアニメの舞台に気鋭の作家ら尾道でロケハンを」
スーザンJネイピア『现代日本のアニメ』、中央公论新社、2002 年
毎日jp、2010 年1 月5 日「らき*すた:"圣地"鹫宫神社10年の初诣で客数45万人过去最高、アニメ放送前の5倍に」